【OPENを止めようとした親心】
『何か月、もつんだろうね、あの店は...』、まわりがそう思うのも無理はない。時代は、昭和40年代後半の高崎柳川町。日本三大遊郭の一つと呼ばれていたこの町は、高度経済成長の真っただ中ということもあって、夜の繁華街は溢れるほどの人、また人。毎晩お祭り騒ぎのような日常は人を町に呼び込み、その反面そこで商いをしている者にとって下剋上の世界。店の入れ替わりは通常の町のスピードとは比べ物にならないほど早かった。
こんなエピソードがある。24歳で【Bishop】というクラブを始めようとしていた女性が、店をOPENさせる為に財務事務所へ必要書類を持って行ったときのこと。カウンターで書類を受付していた男性に、「どのような店をされるのですか?」と尋ねられたこの女性が、高崎柳川町でクラブをやっていくと店の内容を伝えたところ、その男性は驚き、『お嬢さん、あなたのような若い女性があの町で商売をやっていくなんて...。荒波しかないあの業界で店をやっていくのは本当に難しいから、やめておきなさい。今なら間に合うから。すぐ店やったって潰れちゃうからやめた方がいいですよ。』と強く説得されたという。
しかし24歳の経営者は、そう言われてもすでに店の手付金を払い、すべてが動き始めてしまったこともあって、この男性からの助言をされてもやめることなど選択の余地はなく、『ありがとうございます。わたし、頑張ってみます。』と答え、その受付の男性もしぶしぶ、書類を通したという。そして、この男性は、『じゃあ、店をやるなら今度、会社のみんなでお店に行くからがんばって。』と、その後、本当に会社の皆さんで来店して下さり、さらにその受付の男性は奥様も連れてきてくれるようになり、結果常連さんとなり、お亡くなりになるまでこの店を応援しつづけてくださった。
話をOPENの二年半前に戻そう。1971年へ。