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YanagawachoStory 柳川町物語
   
  落ち着きのある大人のための空間
 
 

 柳川町が今のように飲食店街となる前は【東京吉原】のような遊郭場であり、さらにその前は湿地帯だったという記録が残っております。様々な時代を経て、今の柳川町の形となりました。
 当店は今年で37年目となりますが、柳川町誕生の歴史から考えれば、まだまだ若輩者という存在でございます。街は生きもの、これから柳川町を魅力ある街にしていくため、今この街に商う私たちが約140年続く柳川町の歴史を知ることが大事なのではと感じました。
 柳川町に遊びにいらっしゃる県内外のお客様やそこで働く者たち、また住民の方々、すべての皆さんがここ「花街柳川町」をこれからも愛し、他のどこにもない価値ある場所文化として認知していただけたら幸いでございます。では、柳川町ストーリーをお楽しみ下さいませ。

 このコーナーの設置にあたって、『柳川町花街物語』著者の はせちゅう様に大変お世話になっております。あらめて心より感謝申し上げます。

 

   
柳川町物語イメージ
 
 
Stories
   
第1話 花街・柳川町誕生
   
 

 明治6(1873)年3月4日、柳川町は誕生しました。地内を流れる用水の岸に柳の大木があったことに由来しているとのことです。その頃は、高崎城内の北郭(きたくるわ)と言われ、昔の馬場の跡地の葦の生えた湿地帯であったそうです。
 その前年6月に田中祭八なる人物が、この馬場の地の湿地帯575坪の借地を願い出て許可を受けたところから、いわゆる岡場所が生まれるきっかけとなったそうです。
 それによって未公認の遊女屋が発生、急速に飲食店や商いの店舗、縫箔屋、桶屋、たばこ屋などが立ち並び、たばこ横町の名がついた一角も出現しました。
 その当時は明治維新直後のことで、すべてが新しく生まれ変わり、世直し時代到来と呼ばれ、社会全体が混乱の中にあった“どさくさ”の時代でした。
 高崎藩大河内輝声の版籍奉還が行われたのは、明治4(1871)年7月14日のことで高崎城主の地位を返上していたことによって、藩主の威令は失われ、風紀取り締まりについての厳しさも失われておりました。
 ところで、柳川町に縁のある人物には日銀総裁を務めた深井英五と上毛かるたに「心の燈台」と謳われる内村鑑三がおります。共に高崎藩士の家に生まれ、経済界、思想界のそれぞれで日本を代表する活躍をなさいました。柳川町は、そんなを人物を育んだ街でもあるのです。

出典:はせちゅう著『柳川町花街物語』(文芸社)