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YanagawachoStory 柳川町物語
   
  落ち着きのある大人のための空間
 
 

 柳川町が今のように飲食店街となる前は【東京吉原】のような遊郭場であり、さらにその前は湿地帯だったという記録が残っております。様々な時代を経て、今の柳川町の形となりました。
 当店は今年で37年目となりますが、柳川町誕生の歴史から考えれば、まだまだ若輩者という存在でございます。街は生きもの、これから柳川町を魅力ある街にしていくため、今この街に商う私たちが約140年続く柳川町の歴史を知ることが大事なのではと感じました。
 柳川町に遊びにいらっしゃる県内外のお客様やそこで働く者たち、また住民の方々、すべての皆さんがここ「花街柳川町」をこれからも愛し、他のどこにもない価値ある場所文化として認知していただけたら幸いでございます。では、柳川町ストーリーをお楽しみ下さいませ。

 このコーナーの設置にあたって、『柳川町花街物語』著者の はせちゅう様に大変お世話になっております。あらめて心より感謝申し上げます。

 

   
柳川町物語イメージ
 
 
Stories
   
第5話 戦時下の国民生活と花街
   
 

 昭和6(1931)年の満州事変から日本は第二次世界大戦へ突入。総動員法により、統制経済の時代となり、物資の欠乏からすべてが配給制となりました。そのため、柳川町も打撃を受け、若い女性達はやがて軍需工場へ動員されていくようになったのです。
 商売用の酒の配給は全くなくなり、昭和18(1943)年頃には料亭はすべて廃業同然となってしまい、翌19(1944)年3月5日には高級料理店、待合、芸妓屋、バーなどは閉鎖状態に。そのため芸妓数も激減、徴用から逃れる為に高崎芸妓組合の見番に、軍需工場の下請け会社作業場を設け、芸妓がモンペ姿で働く状態になっていました。
 全ての物資が配給制度になっていく中、当然花柳界も第一売る料理も酒もなく、花街は火の消えたような有様であったのです。
 「高崎のサービス業と花街史」には、『若い芸者や女中はいつ徴用され、工場に送られるかわからないので、そこで見番事務所を戦争資材の製造工場にして、居残った芸者が女工として働くようになった。軍需工場の工員なら徴用から免除せれていたからである。そして、夜になって、公用のお客の集まりに居残り組がお座敷に出たが、三味線で踊ったりするわけにもいかなかった。たまに来るお客にしても、配給関係で酒も肴も持参できる特別な人々だった』とあります。

   
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