クラブビショップ
ビショップについて インフォメーション 柳川町物語 求人情報 ビショップブログ お問い合わせ
 
 
YanagawachoStory 柳川町物語
   
  落ち着きのある大人のための空間
 
 

 柳川町が今のように飲食店街となる前は【東京吉原】のような遊郭場であり、さらにその前は湿地帯だったという記録が残っております。様々な時代を経て、今の柳川町の形となりました。
 当店は今年で37年目となりますが、柳川町誕生の歴史から考えれば、まだまだ若輩者という存在でございます。街は生きもの、これから柳川町を魅力ある街にしていくため、今この街に商う私たちが約140年続く柳川町の歴史を知ることが大事なのではと感じました。
 柳川町に遊びにいらっしゃる県内外のお客様やそこで働く者たち、また住民の方々、すべての皆さんがここ「花街柳川町」をこれからも愛し、他のどこにもない価値ある場所文化として認知していただけたら幸いでございます。では、柳川町ストーリーをお楽しみ下さいませ。

 このコーナーの設置にあたって、『柳川町花街物語』著者の はせちゅう様に大変お世話になっております。あらめて心より感謝申し上げます。

 

   
柳川町物語イメージ
 
 
Stories
   
第8話/戦後の花街・赤線地区の指定
   
 

 日本は敗戦の結果、全国の都市の多くは焼け野原となり、アメリカ軍の占領下となりました。全くの無一文の中から、まず東京が復活の息を吹き返し、それにつれて全国の花街も徐々に動き出していったのでありました。
 昭和20年8月18日(実に敗戦後3日目)のことですが、内務省警保局長から各府県知事に「進駐軍特殊慰安施設について」の通知が発せられています。これは上陸してくる進駐軍のための公用慰安婦の増員と配置が行われたものでした。
 東京の吉原遊郭は焼け野原となっていたので、最盛期には3000人いた酌婦が僅か42人しか残っていなかったそうで、新聞やポスターを使って現役復帰を呼びかけたそうです。
 昭和20年10月頃から、戦争のため休業を命じられていた芸妓屋は営業を再開しはじめました。品川、向島、亀戸、白山、吉原などの花街が、占領軍兵士を客として、一斉に活気を取り戻しました。
 翌年には、GHQの名において「日本における公娼廃止に関する件」の覚書が発せられ、日本の公娼制度は女性の人権を守る立場から廃止されることになりました。しかし警察庁は、集娼地域と特殊飲食店の指定範囲を限定し、集団的に営業させるという指導を打ち出しました。これらの地域を地図上赤線で囲んだことから、赤線地区と呼ばれるようになったのです。

 

   
 < 第7話 続・当時芸者だったT姐さんのお話